ボールペンを3000本作った話

ぐんぐにるさん、なんか面白い話してくださいよ

言われそうで言われない、言われなさそうで言われる台詞である。あるフォロワーは初めて買った車の話だったり、またあるフォロワーはパートナーとの性事情であったり、誰しも一つは持っていることだろう。決まって私はこの話をする。笑い話にする場合はもっと簡潔に話すのだが、今回は少々纏めてみることにする。

初めての冬コミ

いつだったかは忘れたが、恐らくC80番台であったと思う。確かなことは、12/30だったということだ。私は日本最大級の同人誌即売会の会場で待機していた。他の即売会経験は、博麗神社例大祭東方projectオンリー即売会)のみであったが、こちらは極めて難易度の低いものであった(参加者も比較すれば少なく、深夜来場へのペナルティが厳しいため、早く来て列に並ぶことが得策ではない)。

私は俗に言う「買い専」という立場のオタクであった。コミックマーケットには実に様々な人種が参加する。本を売る側の「サークル参加」、写真を撮る「カメラ小僧」等であるが、買い専はなるべく早く列に並び、必要な本やグッズを全て手に入れて、さらに足りなければ委託品を買いに秋葉原まで行く、そういった人種のため、早朝から並ぶ必要があったのだ。(のちに一度だけサークル参加をすることになるが、並ばないので本当に楽だった)

戦友

「男子校には二次元かアイドルにハマる奴かホモしかいない」、とはよく言ったもので、当時の私も二次元オタクであった。そして、そういったオタクが迫害されない、仲間が多く存在するのが男子校の強みである。一月前に友人に冬コミに行くという話をしていたら、私も同行しようという者が複数名現れたのだ、より昔から即売会に行っていた彼らは心強い味方になってくれるだろうと考え、現地で合流することになった。

戦闘準備

買い専は入念なチェックの後行動する。並ぶサークルに印を付け、壁サークル(人気のため、列を形成しやすい外側に配置される)で待機する時間を予測し、会場のルート取りまで確認する。予定外の買い物も含めれば予算も馬鹿にならない上、荷物は段々と嵩張ってくる。(ちなみに人気が比較的低い壁サークルで紙袋を配布している所に最初に行くと良い。最初にアイテムを入手できる)一つのミスが致命的になりかねないのである。

作戦変更

「お前東なの?俺ら西なんだわ」

前日に発覚した出来事だ、コミックマーケットは当時三日間かけて行われていた。初日を終えて満足そうな友人たちであったが、私は二日目(同人ゲーム等)のみでの参加だ。突然仲間を失った私は、ただ茫然とガラパゴスケータイを眺めることしかできなかった。

会場となる東京ビックサイトには、東ホールと西ホールが存在する。西はよく目にする逆ピラミッドが四つ組み合わさったアートのような建造物で、東ホールは比較的倉庫に近い見た目をした実用的な建造物である。このうち、私の目的地は東で、彼らは西に行こうとしていた。

いずれにせよ早朝に単独で待機するためには寒さを凌ぐ装備と紛らわせる娯楽が必要だった。寒いから覚悟しろというのは聞いていたが、始発で来場した場合、到着はおよそ六時、開場の十時まで四時間、師走の埠頭の風を浴びながら耐えなければいけない。冷静に考えて寒くない訳がないのだ。先が思いやられるが、カタログを買った以上はもう参加以外の考えはあり得なかった。

出撃

朝の弱い私も、こういった日は目覚ましが無くとも目が覚めるものだ。時計は四時半を指していた。軽く再確認をして出発し、旅の安全を祈り神社に参拝する。雨の気配があった。途中のコンビニで朝食、菓子、簡易レインコートを購入し、駅へ向かう。当時のコミックマーケットでは傘はご法度で、周囲の迷惑にならないレインコートが推奨された。改札で不幸にも弾き出されないように、少し多めにPASMOをチャージしようとしたその時だった。私のPASMOは券売機に入らなかった。オタクステッカーのせいで厚みが増していたのだ。別の券売機に差し込んで事なきを得た。

年末の始発に電車に乗っている人種は社畜かオタクしかいない。社畜は死んだような顔をして出勤しているし、オタクは大きなリュックやスーツケースを所持しているから見分けが付きやすい。ところで、段々と同じ目的の人間が集まってくるというのは不思議と気分が高揚するものである。そのころには眠気も感じなくなってきた。

伏兵

今回は新木場乗り換えのりんかい線という択を選んだ。物理的な距離はゆりかもめの方が近いが、りんかい線の方が電車が早く来るためだ。

会場内でもないのに私に走るなと警告するのは土台無理な話だ。なぜなら日ごろから何も考えずどんな場所でも走っているからだ。余裕のある人間に見えないから美しくないとも言われる行為だが、本能が私を走らせているので仕方がない。その上、今の我々は玩具屋を前にした少年も同じ。周囲もまた、我慢できる様子ではなかった。

下調べのお陰で私は階段の前のドアに張り付き、開扉と当時に飛び出した。先頭集団は我先に少ない改札機を目指した。

運悪く、ユラクチョ・ラインの「シンキバ」駅で一つの改札機に私ともう一人が群がった。隣のスモトリめいた男はウエストが二倍はありそうだったが、ここで元ラグビー部のニンジャ筋力が役立った。残り1mという距離「イヤーッ!」姿勢を落とし、腕の外側を使ったカラテで男を押し退けた。「グワーッ!」改札から弾き出された男は流れに乗れず、バック・アイでは十秒以上のロスに見えた。この三日は現代東京都もマッポーの世なのだ。

りんかい線はさながら収容所に送られる列車のような様相を呈していた。開いていたドアから体を押し込み、乗れなかったであろう先程の男性に心中で謝罪した。

りんかい線を降りると、改札口までは急いでも無駄なうえ、それ以降はスタッフの誘導があった。早足で歩きながら、会場に到着した。

コミックマーケットの待機列は非常に狭かった。部隊長とも言える名物スタッフが慣れた手ぶりで六列縦隊を形成していくが、スペースは例大祭の比ではなかった。言うなればファランクス(重歩兵の密集陣形。フランク=ミラーの「300」で描写されている)である。しかしそこにいるのはむさ苦しい筋肉質の男性ではなく、蒸している異常性癖の男性である。

雨が降り始めていた。

孤独

途中で雨が止めばよいのだがと思っていたが、お天道様は少し機嫌が悪いようであった。事前に購入したカッパを着て、サークルをチェックし直し、問題が無いことを確認した。上四枚(+カイロ一枚)、下三枚で挑んだ我慢試合であったが、如何せん当時の体脂肪率は5.8%であった。数値だけならアスリートとも思えるそれが、体を蝕む寒さから己を守れないことは一目瞭然だった。携帯食料をを咀嚼し、体内に熱を作る努力もしたが、然程効果は無かったようだ。西の戦友は今頃皆で喋って寒さを紛らわしていることだろう。雨が余計に冷たく感じられた。

娯楽

こうなれば一人で気を紛らわす他はない。メールで友人と話すことも考えたが当時は電波カーなどの配備が進んでおらず、数バイト送るのにも多大な時間を要した。何より、大概の友人は寝ている時間である。この選択肢は諦め、出来ることを探した。自分も眠れば良いのではないか、という考えには埠頭の風が答えてくれた。おそらく今寝たら自分に朝は巡ってこないだろう。そう考えた私はこれも諦めた。

ふと周囲の声を盗み聞くと、ゲームをしている声が聞こえた。もちろん当時一番流行していたのは、モンスターハンターポータブル2ndG(以下MHP2G)である。便乗してPSPを起動した。できればco-opしたかったのだが仕方ない。ゲームを起動し、ソロで狩りを始める。最初の30分は問題なかったが、またしても寒さに阻まれた。手がかじかんで上手く動けないのである。こういった緻密な動作を要求されるゲームはこの場に向いていないことを思い知った。限界を感じ、用意してきた他のゲームを確認した。

邂逅

時間を忘れてプレイでき、かつ単純な操作のみで進行できる、果たしてそんな都合の良いゲームなんてあるのだろうか。あった、この場に相応しいゲームが、まさかここにきて役に立つとは思わなかった。そう、バイトヘル2000である。

このゲームは先程のMHP2Gを実況していたプレイヤーが動画サイトに投稿していたゲームで、厭らしいクソゲーばかりを集めた珠玉のディスクだ。

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中古ゲーム屋で買ったが、完全にネタであり、その厭らしさを校内に広めるため買ったにすぎなかった。

ゲームの目的は簡単で、「バイト」を行ってゲーム内通貨を貯め、貯めた通貨でガチャガチャを回し、新たなバイトやコレクションをする、というものである。このガチャというシステムは、今日ではソーシャルゲームで当たり前に存在するが、当時としては画期的だったように思える。作者は先見の明があると思い検索すると、なんとピエール瀧であった。薬物をやっていたからこんなゲームが作れたのだと掌を返した。

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「バイト」

年末の夜の埠頭で何の利益も生まないアルバイトが始まった。ゲームを起動すると「バイトヘェェェェル」という気味の悪い音声が聞こえてくる。ストーリーとしては、地獄に落ちた主人公がプロレタリアートとして日々を生きるだけの物語だ。地獄の割に労働環境は普通である。

手始めに「薪割り2」から手を付けた。これは「スーパー薪割りブラザーズ」といういかにもな二人向けゲームの一人版となっている。しかしこのゲームは移動もジャンプもしない。一定のテンポで出てくる薪を、タイミング良く〇ボタンで割るというものだ。MHP2Gと違い〇ボタンしか使わないのは、凍えているプレイヤーにも優しい。ゲームを始めると、雑な森の背景と気の狂った婆が気の狂った少年たるプレイヤーを迎えてくれる。何故気違い呼ばわりしているかと言えば、顔もさることながら、薪と間違えて森の動物たちを薪割り台の上に乗せてくるのだ、何をどう間違えたら動物と薪を間違えるのだろうか。ともかく処刑人とならぬように薪を叩いていく。しかしこのゲームにクリアは無い。プレイヤーが薪を割れなったか刑を執行しない限り、ゲームは終わらないのである。当然難易度もこの限りではない。カウントが一定量を超えると、動物を連続で出してきたり、動物の形をした薪(これは割る)を出すようになる。熊(茶色の動物)と木彫りの熊を交互に出された私は熊を処刑したところでこのゲームを止めた。ここで一つ気が付いた。ボタンが一個でも、頭を使うゲームは今の環境に適していない、と。

「バイト2」

いよいよ単純作業しかできないと考えた私は、とあるゲームに目を付けた。それが「ボールペン工場2」だ。背景は中国のとある工場内で、下には無限に近いカウンターが作ったボールペンの数を表示してくれる。このゲームは薪割りより使うボタンが多い。上下で芯の向きを変え(向きのあっている芯はそのままでよい)、〇でキャップを閉め、×でコンベアを一つ分動かす。一本正しく作るごとに三円手に入る。と、ここまで聞いて皆思うだろう「これだけなのか」と。その通り、これだけしかやることが無い。私は寒空の下、ボールペンを作り続けた。

ゴゥーン←コンベアを動かす音

ヒョイ←芯の向きを変える音

キュポ←キャップをはめる音

二拍子か三拍子の作業が続く。

ゴゥーンキュポゴゥーンキュポゴゥーンヒョイキュポゴゥーン

もう少ししたら止めよう、そうしないと人間を辞めてしまう…そんなことを考えながら、ふとカウンターを見ると”3000”という数字が書かれていた。およそ9000円を手に入れ、ガチャを引こうとロードを待っていたその時だった。空が明るくなり、雲間に太陽が現れた。どんな状況でも神々しい光景には感動するものである。それがたとえ大勢のナードの集まりで、ゲームの中で中国人女性と一緒にボールペンを3000本も生産していた状況だとしてもだ。天照大神の暖かさを感じた私は、時間ギリギリまで眠りこんだ。

おまけ

かくして私は無事コミケを終え、念願の本と一緒に帰還した。翌日風邪を引いたような記憶もあるが、定かではない。

以降、コミケに行くときは必ず同伴者がいることを確認して行くようになった。

 

え、面白くなかったって?皆のすべらない話、待ってるよ。